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2、カタチ。



「感覚」は、感覚それ自体としては何も残らない。それは移りゆく変化の連続であって、とりとめのない、わけのわからない、つかみどころのないものである。感覚は、感覚それ自体としては何も意識されない、その場その時かぎりのものである。

感覚がそれ自体として、なにか記憶に残るといったことがなく、たいていそのままで忘れられて行く。あとに残るのは、何か理由の不明な、わけのわからない肉体の感触だけで、意識から切断された肉体の生理的な感覚としてのみ、思い出されるのである。だからその感覚がいったい何を意味しているのか、自分でも知りようがないのである。

それは、生理や神経の作用の仕方といったものであって、思考や意識で捉えることが出来るものではなく、むしろ、気分や雰囲気といった「情緒」でしか感じとることが出来ないものなのである。そうした、原因や理由から切り離された「情緒」といったものであって、なぜそう感じられてくるのが、自分でもよく分からない世界なのである。

このような自分の内部の感覚が、感覚として意識され、記憶として保存され、そして思い出されるためには、それが何らかのカタチをとる必要があって、それが言葉とか、イメージとか、あるいは論理のつながりといったもので、神話とか伝承、歴史といったものがそれなのである。

あるいは、それがイメージされた彫像や絵画、儀式といったものもそれである。そうやって、そうした行為や感覚の衝動として、肉体の生理として、あるいは感覚の作用の仕方として、それが思い出されるのである。

そして、この思い出される固有のカタチ、様式やパターンといったものが、それぞれの民族集団特有のものであり、そしてまた、それぞれの民族特有の、感覚のバランスの仕方を示しているのである。


戻る。             続く。

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