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2、正体。



それはまさしく、自分自身の心臓の音であり、自分自身の息づかいの気配であり、そして、自分自身の鳥肌立つ肌の感触なのである。それは、自分の身体が条件反射して、一人でそう感じているだけなのである。

自分で、自分のカラダの中の音や、息や、指先の震え、逆立つ皮膚の感触に驚き、戸惑い、恐れ、驚愕しているのである。恐れ、おののき、おびえている。それは、まったく得体の知れない、自分でもワケのわからないことなのである。それが、私自身の中に入り込んできて、乗り移って、僕のカラダの中をなめ回している。しかし、それは私自身であるとしか言いようがないのである。なぜなら、ここには僕しかいないからである。

つまり、どういうことかと言うと、僕のなかで何かがよみがえったのである。忘れられ、失われ、もはや何もないと思われていたところから、なにかがめざめ、よみがえったのである。だから、自分でも身に覚えのないことだし、気づくことも、理解することも出来ず、何のことか解らずに、ただ、恐れおののいているのである。ことの重大さに気づいても、それが何なのかわからず、ただただ愕然として固まってしまうのである。これはいったい何なのだ? だれなのだ? それは、私自身である。私自身以外にないのである。それが私の正体なのである。


戻る。             続く。

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