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ここでいう「反射」とは、自己の内部が、外に向かって反射して、そして再び戻ってきて、自己の内部で映し出されたということである。自分の中から、外へ向かって何かが求められていて、それが自分に向かって反射して戻ってくるのである。つまり、自己というのが現実を通して反射して映しだされているのである。 自己とは精神であり、外(そと)とは現実の世界である。外の現実に反応して、内なる精神が映しだされたのである。自分の中にあったものが外の表面に映り、移動してきて再び自分に乗り移り、観念の世界の中でコピーされて写っているのである。言語や生活、シキタリや習慣となって現実の世界に表現されたのである。 精神が現実となって現れて、映しだされたのである。自分の中にあったものが、現実の世界に映し出されて、現れているのである。だからそれは、自分の精神の世界でもあるのである。 そして、それが見えるというのは、それが自分と現実とのかかわり方だからである。自分にとって必要でないもの、知らないもの。言い換えると、人間にとってかかわりのないものは、人間ににとって見る機会も、また見えてくることもないのである。 |
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