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それは過去に生きた人々と現在を生きる私たちの、共通の普遍的な必然性として理解されて来る。それは、自分で自分自身を見ているのである。自分から切り離された異なる座標系から、自分と共に他者見ているのである。 こうしたことは歴史を見る場合だけでなく、現在を生きる私たちが、未知の異なる文化と遭遇した場合にも起こっている。自分が持つ文化とは異なる基準でもって、異文化というのを理解せざるを得ないからである。つまり、異なる基準と価値観、必然性や原理、異なる存在理由といったものを認めざるを得ないからである。 人間が生きて行く上での判断や理解、行為の基準といったもの、自分自身の存在理由や必然性といったものが、本来、自分自身の内的同一性(アイデンティティー)に属するものであって、そうした、固定した永遠不変のもののように思われていたことが変化にさらされる。相対的なものに過ぎなかったことが、思い知らされるのである。 |