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そうやって、他人を理解するとともに自分自身を知り、発見し、そして強く意識することになる。それはつまり、自分で自分を他人のように見ているのである。このような自分とは、自分とは別のところから自分を見ている。 他人でも自分でもなく、それとは別のところから世界を見ている。当事者とは別の傍観者、第三者として現実を見ている。自分自身、その現実の中で生きているにもかかわらず、である。現実の存在と観念の世界が分裂している。肉体と精神がそれぞれ別の世界を生きている。 それは歴史でも、あるいは異文化でもなく、それらの根底にあって、それらを衝き動かしている普遍的な必然性とでもいったものである。永遠の祈りや願い、あるいは、自己の必然的な存在理由を求めているのである。 そうしたことを民族の歴史と、異文化の世界に見ているのである。自分自身の理由とその起源を見ているのである。自己の内的同一性を求め、それを確めているのである。 同一性とは、自分自身の身体と感覚と意識の一体性であり、それらが自分のもとに全体として統合されているということであり、もう一つは、歴史的な同一性・ルーツのことである。途切れることなく歴史的に連続する同一性、俗に言うところの、民族の「たましい」を生きているのである。 |