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3、客観的。



だから精神は外へ出て行くしかないのである。いまだ知られざる未知の現実へ出て行くしかないのである。そうする以外に自分を見つけることが出来ないのである。ここにじっと留まり続けるのは、自己の精神の死を意味するのであって、そこから出て行くしかないのである。

そうしてのみ、失われそうな自分を取り戻し、本当の自分というのを見つけ出し、発見することが出来るのである。自分のこの手に握りしめることが出来るのである。だから、いま居る自分は、自分で捨てるしかなく、自分で自分を見つけ、探し求めてゆくしかないのである。自己の肯定は、自己の現実の否定であって、生は死を通してその中から生まれてくるのである。

耐えられない精神の死が意味するのは、自分が自分で無くなっているのである。自分というのがどこかで切断され、破壊されて、自分で自分を統合できなくなっている。自分というのが同一のもので無くなっているのである。

自分以外の何か得体の知れない、正体不明のだれかが自分のなかに入り込んできている。だから精神はこうした自分自身というのを確かめるべく、外へ向かわざるを得ないのである。閉じた自分だけの、気まぐれと思い込みだけが支配する主観性の囲いの中から抜け出て、それを突き破って、精神は、外の客観的な現実に出なければならないのである。


戻る。             続く。

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