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3、感覚の中。



それは、自分で自分の感覚の世界を見ているのであって、現実の世界を見ているのではないのである。その意味では空想とか幻覚と紙一重と言えるものなのである。

それでも自分の感覚は、感覚だけで何かを感じていて、そして、それこそが本当の確かな自分の感覚と言えるものなのである。なぜなら、それは他人から教えられたり与えられて、そう感じているのではなくて、自分自身の感覚の内部から感じられてくるものだからである。そしてこれを、自分の外の現実と勘違いし、誤解しているのである。

限りなく大事なものを自分で感じているにもかかわらず、それが何かわからず、自分で見つけることが出来ずに、ありもしない自分の外の世界に見つけようとしているのである。だから、何もないところに誰かがいるように感じたり、聞こえたり、そうした思い込みや気配を感じてしまうのである。

感じたくないのだけれども、それが非常に大切なことのように思えて、どこかで、なんとしても見つけなければならず、そして結局、現実の世界にそれを「見た」と思い込むのである。正常な感覚であれば、なにかが「見える」のは現実の世界だけだからである。現実にはない自分の空想を「見た」とはだれも思わないのである。だから、自分にとってのそれは現実でなければならず、そうして現実なのだと勘違いしているのである。


戻る。             続く。

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