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6、情緒。



そうした意味で、憂うつとか、優しい、おだやかなどといった感覚は、間接的であり、外の世界と自分との関係性を示している。暗示し、認めてもいる。

それは、自分ではどうにもならない感覚ではあるが、同時にまた、それを避け、あるいは近づくことのできる感覚でもある。予感したり、予測したりすることのできる感覚でもある。そしてそのように努力もするのである。だからそれは、外の自然との条件反射的な関係、直接的で同時的な関係とは、かなり状況が異なると言える。

感覚というのが、自分の外との関係だけで完結するのではなくて、自己の精神の内部へと向かっていて、自分の心の中で内省的に感じられているのである。だから、自己感情の意識の混じった情緒と言える。ただし、感情の相手とか対象が必ずしもはっきりしない、ぼんやりしたとらえどころのない感情にとどまる。だから、情緒なのである。

視覚や嗅覚や触覚などといった、個々バラバラの感覚といったものが、統合され、アンサンブルとなって、時間の流れの中でリズムとなって移ろい、映し出されて、それだけでこれら感覚とは別の、情緒の世界を作り出している。


戻る。             続く。

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