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6、異なる領域。



人間の感覚や情緒といったものが形成されてきた現実の条件、つまり、文化と自然条件といったもの。そして、そこから求められ、指向され、導かれてきた民族の気質や気性、いわゆる、精神的特性といったもの。それらすべては結局のところ、同じものを指していると思えてならないのである。

文化と自然環境や、そのうえで形成されてきた精神的特性といったものも、それらが互いに作用する感覚や情緒のレベルで見ると、それらはどちらも同じものであって、異なるフィルターを通して別のもののように映っているのである。

一方の、外的環境としての文化と自然条件は、内なる精神が自分の中で、自分の必要から現実を見ていて、それが自分の情緒の中で反射されて映し出されているのである。そして、このような自分自身にとっての見え方というのが、精神的特性といったものなのである。

だから、その中間にあって、それらを互いに媒介している、意識されることのない感覚や情緒のレベルでみると、それが自然環境を見ているのか、それとも自分の精神的特性を見ているのか、必ずしもハッキリしないのである。

しかしまた、ハッキリしないからこそ、感覚や情緒であり続けるのである。意識されるということがないのである。それは自然環境とも、精神的特性とも別の、異なる領域の世界での出来事なのである。そしてまた、これを「個性」と言っているのである。


戻る。             続く。

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