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だからやはり、精神は外へ向かわざるを得ず、情的・開放的で行動的になってしまう。意識的でも理知的でもなく、感情的になってしまうのである。そうした移り気な感情そのものの起伏を求めるのである。 夏のむし暑さというのは、生命あるいは精神といったものが、外の世界に対して対抗的である。張り合って争っている。有無を言わせぬ暑さは、何もせずにじっとしていると、ひからびて枯れてしまうのである。それは死を意味する。そしてそれは、生理的・情緒的な意味でもそうなのである。 だから、活発にならざるを得ない。そうした、むし暑さなのである。そうしないと、ケジメがなくなって、だらけてふやけてしまい、精神的にも肉体的にもまいってしまう。何もせずに、じっとしているとは、こういうことなのである。 だから反対に、行動的・対抗的にならざるを得ないのである。発散し、自らが外に出ざるを得ないのである。そうしてのみ自らを保存して行くことが出来るのである。 |
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