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10、拘束。



自分でもそれが何なのか分からず、たいてい、記憶の中から消えているのである。そして思い出されることもなくて、自分の中から自分の記憶といったものが消えて行く。不要で、ジャマで、災いのタネとして、消去されて行く。

そして、それが不思議とも変だとも思わない。それは、思っても、意識してもならない世界なのである。それは考えてはならない戒(いまし)めとタブーの世界なのである。そしてそれが、社会が成り立つ条件なのである。

この戒めと拘束から出て行かなければならない。それは破壊されなければならないのである。そうしてのみ、自分というのが見えてくる。自分というのが現実世界に映し出されてくるのである。

そうして、自分自身の中にある異質なもの、そして自分が生きる社会や自然環境の意味といったものが、それまでとは全然別のものとして感じられてくるし、とらえられる。そして迫ってもくる。

それらが新たな別のものとして発見されたのである。いままでとは全く違う別の意味を持つものとして新たに発見されたのである。人間というのが、それまでとは何か別のものになったのである。それまでとは別の、何か違う感覚と生き方、感じ方と個性を持ったものとして移って行くのである。変異しているのである。

だからまた、自分を見つけなければならない。自分を拘束する条件を破壊し、新たな未知の世界へ出て行かなければならない。そして自分を確め、さがしだし、自分の精神と感覚の領域を確定し、自己と他者の境界線を定め、自己の精神のカタチといったものを明確に示さなければならないのである。

そしてまた、その拠り所となるのが、このような自分の中にある、無意識の感覚の世界なのである。精神と肉体の狭間、あるいは肉体それ自身が持つ記憶なのである。肉体とは、精神が現実のカタチになったものである。それは、意識されることのない感覚の世界なのである。


戻る。             続く。

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