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「逆光」とは、ものの背後から光が射している場合で、反対に「順光」とは、ものの正面を光が射している場合である。だから、逆光ではものの表面が影になっていて、よく見えない。反対に順光では、光が直接まともに当たって、ものの表面がよく見える。 逆行では、ものの外周輪郭線はマブしい後光が射していて、ぼやけてよく見えない。そして、この後光に囲まれた中の、ものの表面は影になっていて薄暗くよく見えない。それは、まるで光の中にポッカリと空いた異空間のようにも見えるし、そう思えてもくる。 「逆光」の中に、人間の顔があるとすると、その顔の外周輪郭線はマブしさの中で白っぽく、光の中に消えて行って、その中にあるはずの顔の表面、表情といったものは、薄ぼんやりと暗い影の中に沈んだままで、「見える」ということがない。そこで、このままの状態で「順光」を追加して見ると、顔の表面というのがしっかりと、クッキリとよく見える。当然なのであるが。 しかし、よく見るとこの場合、顔の表情といったものが、その外周の輪郭線を喪失した、外面の無い、内面だけの世界を見ているように思えてくる。見える肉体を透過して直接、心の中を見ているのだと思えてくるのである。なぜなら、現実の姿を形作っている外の輪郭が消えて、輪郭の中だけが見えているからである。カタチが無いのに、中の表面だけが見えている。カタチが消えて表情だけが浮き上がっている。 |