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肉体の外の境界線が消えた。肉体から表面というのが無くなって、肉体と精神の境界線のない内面だけの顔。こういうのは現実の世界には存在しないのである。現実のものには、すべて、外と内との間にそれらを区別する境界線があって、それが輪郭と呼ばれているのである。 だから、輪郭が消えるというのは、自分と他人の区別が無くなっているのであり、見える外面を透過して直接相手の心の中を見ているのである。外面というのが消えて、直接なかの精神の世界を透かして見ているのである。それと意識しないまま、そう思えてくるのである。 輪郭と外面を喪失した「内面」だけの世界など、この世に存在しない。カタチ無き精神など存在しないのである。しかし、そうしたことを現実に見ていると錯覚してしまうのである。 どういうことかと言うと、現実にあるものを、光の光学的な映像によって変形されたのを見ているのである。現実の実際にあるものとは異なるものとして見えてくるのである。この光の性質によって、ものの輪郭線がぼやけて消えてゆくのである。光の反射、透過、回り込み(回折)などがそうである。 これを、光の性質に基づく「光学的映像」というならば、映像はこれ以外に、生物学的映像、生理的映像、記憶的映像などと分類できる。「光」以外に、様々な要因が人間の目を支配していて、そしてそれに従い、様々な見え方、感じ方、受け止め方、思い方を反映しているのである。 |