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しかしまた、この感覚の範囲から除外された領域、例えば見えない部分や、感じない部分といったものは、現実になにも無いからそうなのではなく、それが人間にとって必要でなかったから、見えないし、感じるということがなくなった、ということなのである。 そして実は、この見える見えないの「境い目」、境界線上、白でも黒でもなく灰色の、ぼんやりしていて、あいまいで、どっちつかずのこの灰色の領域にこそ、なにかとっても重要な意味が隠されているように思えてくるのである。 それは、自分自身の感覚器官の進化の過程を見ているのであり、そしてまた、自分自身の感覚の内と外、自分と他人を区別する感覚と意識の境界線、あるいはまた、自分の感覚が感じる取ることの出来る領域の限界、すなわち自分にとって、自分の中にある未知の領域を示しているのである。 それは、自分たち祖先の記憶の世界を見ているのである。その下で祖先が生きてきた祖先の感覚の記憶、祖先が取捨選択してきた感覚の形成過程を見ているのである。自分自身の祖先が何を捨ててきたか、そしてまた、なにを求め、あるいはそうせざるを得なかったのか、というのを自分自身の目の中で見ているのである。それは言わば、祖先の記憶の世界なのである。自分がそこから生まれ形成されてきた自分自身の記憶の世界を見ているのである。 |