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6、傾向。



感覚そのものが、感じるもの感じないもの、あるいは、見えるもの見えないものに区分され、識別され、制限され、そしてまた、それを感覚自体で選択して行く以上、それは、感覚ないし人間にとって、必要なことを求めているのであって、そうでないものについては捨てられ、忘れられ、あるいは無視されて行く。

まさにこうした過程そのものが進化と変異の過程なのであって、そしてまた、自己形成の過程でもあって、自分が自分として意識され、自覚され、統合されてゆく過程なのである。自分自身の意識や思考、情緒や感情、そしてまた肉体の感覚といったものが、全体として統合されて、一つの自己の内的同一性が生成されるのである。

つまり、自分で自分自身をを見ていて、そして感じ、意識し、確かめているのである。そして自分自身というのが同一の、一体のものとして自覚されてくる。ということは、自己と他者の間に区別がなされ、境界線が引かれるのである。自己の領域というのが明確に意識されてくる。自分自身というのが同一のものとして意識されてくるのである。

そして、この変化、または移行自体が、なにかの求めによるものであり、自己の内的必然性、そしてこれを取り巻く文化と自然環境とのバランスの上に成り立っているのである。

だからまた、個ないし種の内的必然性といったものは、自己を最適化し、特化して行かざるを得ず、自分自身の向かう方向性といったものを、自分自身の内的必然性に従って指向して行かざるを得ないのである。つまり、生きている、存在しているというのは、現実に「ある」というだけでなく、それが指向する時間的な方向性といったものを本質として持っているのである。


戻る。             続く。

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