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このように「生きている」というのが、自分自身の時間的方向性であり、存在の必然性であるとすると、それは自分自身を現実に合わせて最適化、取捨選択されざるを得ず、そしてまた、生態系の環境という世界全体から見た場合にも、バランス(適者生存)されて行く。 それはつまり、最適化し特化してきたはずの自分自身といったものが、どこかで現状と合わなくなっている場合があるということである。いままで光輝いていたものが、光を失い、とり残され、忘れられ、消えてゆくのである。 これが変異、ないし進化、あるいは移行のキッカケなのである。自分というのが、これまでとは何か別のものになって行くのである。自分の中から何か異質なものが生まれてゆくのである。または、それが気づかれることのないまま、形成されて行くのである。 そしてまた、ここに、新たな原理、これまでとは異質な自己の必然性が切実、かつ、深刻に求められてくるのである。それなくして、自己の存続はもはやあり得ないのである。自己の存続とは、この必然性のことなのである。だとすると、この「必然性」とはいったいどこにあるのだろう?あるいは、どこからきているのだろうか? |