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それは、いつでも、どこでも、目に見える世界を漂いながら、ひらひらとさ迷っている。すがたカタチを変えながらも、まるでつかみどころのない幻のように漂い続けているのである。それが僕の精神を求め、招き、呼び起こしたのである。 自分の精神の中で、現実とは別の自分を見ているのである。自分の中で指向する、なにかの理想化された象徴が、イメージとなって観念の世界に映し出されているのである。あるいは、底なしの恐ろしさといったものが、すがたカタチを変えて、現実の世界にさ迷い出て来ているのである。 そうして、現実にないものが「見えた」と思えてくるのである。それとよく似たものが、誇大拡張されて見えてきたり、自分の偏見や思い込みが、無いものを見たと思わせているのである。 といっても、現実の世界そのものが、偽りとまやかしの世界そのものではないか。私たちは現実というのを、偏見と偽善、自分の都合と利害関係だけで見ていて、そして理解し、それを真実だと思い込んでいるのである。 だから、天使はいる。それはどうしても、いなければならないものなのである。そうでないと現実が壊れてしまうのである。だから、いつでも、どこでも、なにをしていても、天使はいつもすぐ近くにいて、僕をじっと見つめ続けているのである。優しく穏やかに手を差し伸べているのである。 |