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冬のうす明るさ、凍りついた寒さのなかでは何もできず、することもなく、そしてまた、だれもがそうなのである。そうした世界では外へ向かうことが出来ずに、だれだって内向的になってしまう。内向的にならざるを得ない。内向的になるしかないのである。閉じて、こもってしまう。 そしてそれが、春に開いてゆくのである。いつでも、どこでも、だれに対しても、まんべんなく優しく包んで穏やかに開いてゆくのである。それが春の空気の色なのである。 冬の乾いた空気が、水の潤(うるお)いに満たされた春の空気に変わり、そしてカスミのなかで光が散らばり、あるいは吸収され、反射し、透過していって、まんべんなく広がって行く。どこへも、だれに対しても。 そうやって光が直射光から間接光に変わり、世界のすべてを明るく照らしている。景色から落とす影が消えて、景色自体が外へ向かって光を放っているようにも見える。だれもどれも等しくすみずみまで、公平に優しくつつんで映している。 光が優しいというのは、光に直射光のような方向性や鋭さがなく、ぼやけたままで広がっていて、どこからでもまんべんなく入ってくるからである。しっとりと身体全体で素肌に染み透ってくる感じなのである。 これは春特有の空気の潤いなのであって、気温と湿度と湿気、そして空気の白さ、そしてまた、身体の中からめざめて来て、開いて、外へにじんで溢れてくる、心と身体の生理作用そのものなのである。 春の陽気に誘われて、冬の寒さの中で固く閉じていた身体が緩んで開いてくる。そうしたことが自分自身の心理にも、感覚にも、そして気持ちのあり様や情緒にもあらわに現れている。そしてまた、そうしたことが自分だけでなく、自分を取り囲んでいる世界全体が、そうなのである。 |
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