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枯れて、乾いて、カサカサに乾燥した、言わば眠ったままの世界。これを冬だとすれば、それがめざめて再生し、生命の生きている証しが色や形となって、山野に満ちて溢れてくるのである。 若葉や新芽が伸びて広がり、開いたばかりの草花が溢れてくるのである。山々や野原、川辺がそうなのであって、世界全体がそうなのである。そして、それら情景のすべてが丸みを帯びている。そして薄白いカスミが世界を覆い包んで、それが背景となり、キャンバス(生地)となっている。 風景が「丸み」を帯びるのは、白いカスミがものの表面をぼかしてカタチの輪郭を平均化して見せるからである。しかし、実際はそれだけでなくて、物体自体、現実の景色自体が実際にそうなのである。 春の地上と山野を彩る風景といったもの、それも冬にはなかったもの、それは新緑であり、咲いたばかりの草花であり、要するに、春に見る冬にはなかったものとは、生命の色と形なのである。色とは生命の証明であり、そしてまた、ものの個性を特徴づけ印象するものなのである。 そうした生き物たちの、生まれたばかりの枝葉や新緑、そして草花といったもの、その色と形といったものが、押し並べてすべてみな丸みを帯びているのである。なぜなら、それが最も効率よく自らを形作ることが出来るからである。合理的なのである。もっとも少ない材料で、もっとも大きな体積を得ることが出来るからである。自分自身の排他的な生存の空間を得ることが出来るからである。 そしてまた、周りの枝葉や草花といったものが同時に、また同じ時期に広がり始めるからである。だからその森も林も、木々の一本一本すべてが、全体として見ると丸みを帯びているのである。幹や根っこ、枝を基点としてそこから放射状に、そして太陽に向かって広がっているのである。だからそれら全体が、どこから見てもやはり丸みを帯びて見えてくるのである。 |
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