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雨上がりの直後、大気に水分が多く含まれて遠くの景色が良く見える。しかし、霞(カスミ)も霧(キリ)もその実体は水分である。そして、このカスミとキリが風景をさえぎって見えなくしているのである。どこが違うのかというと、雨上がりの後は飽和水蒸気だけであって、これに対して、カスミや霧の場合は、「不飽和」水蒸気だけであって、やがて上空へと消えてゆくか、地表面上の空気に飽和してゆく。これが光をさえぎり拡散し、そしてそれがノイズとなって風景がおぼろげにかすんで見えるのである。 同じ水蒸気でもそれが飽和しているかどうかで、景色の見え方で全然異なってくるのである。飽和しているときはクッキリと、輪郭線が太くにじんではっきりと見えてくるのであって、この水蒸気が飽和していない状態だと、それがチリのようなノイズとなって景色がかすんで見えてくるのである。 つまり人間と景色の間に空気があって、そしてその中に水蒸気があって、この水蒸気の都合によって景色がクッキリと見えたりもするし、あるいは反対に途切れ途切れになってかすんで見えてくるのである。 大気中の水蒸気がいまだ飽和していないというのは、それがカスミやキリのことで、遅かれ早かれこれから晴れてくる、そうした状態のことなのである。これは冬から夏にかけての春の日々によく見かける風景である。 このような、いまだ飽和されていない水蒸気というのは、そのままで上空へ昇っていって雲となるか、周りの大気の空気中にそのまま馴染(なじ)んで行って「飽和」するのである。だからまた、このようなカスミやキリといったものは、少なくとも日本列島では一時的で中途半端な大気の状態なのである。 |
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