index < 日誌 < aqまやかし< 「オトナの話」p3/


 
3、ニセモノ。



古代インドのカースト制度、東アジアの儒教、そして現在日本の系列システムがそうである。世の中のもっとも基本的なところがコネと談合だけで出来ているのである。

個人というのが、あくまでも自立することなく生きて行ける世界、または、個人が自立するというのが許されない世界なのである。個人というのが、どこまで行っても見えず、現れず、埋もれたままで、集団の中で溶けて、消えてしまった世界である。

そしてそれに気づかず、気づいてもならない世界である。これがこの社会の前提、暗黙の了解事項となっている。シキタリ、オキテ、作法、習慣やシツケの根源にあるのである。そして日本的情緒や感情の表現、感覚の感じ方や感性(センス)、発想や発見の基盤となっているのである。

要するに、中世的な身分秩序や儒教思想と非常に相性がよく、個人意識が生まれず、現れず、キリスト教的な自己意識の自覚されない、そしてまた、自覚されてはならない世界なのである。

そうしたキッカケや場面そのものがなく、また、それが意識される必要もなく、そしてまた、それが意識されてはならない世界なのである。「それ」とは自己意識のことである。

だから、こうした世界を外から見ていると、なにから何まで偽りと偽善で、白々しく、わざとらしいというだけのヤラセと作りものの世界のように見えてしまう。もちろん、この世界の中で生きていると、それは見えることも感じることも無いのであるが・・・。これはニセモノの世界である。

戻る。            履歴へ


index < 日誌 < aqまやかし< 「オトナの話」p3/