index < 日誌 < aqまやかし< 「恐ろしさ」p4/


 
4、誘い。



しかし、それは自分の意志でもあって、もともと自分の中にあった何かが、それに反応して、呼応して、共鳴し、ひびいてきて、そして自分自身の内奥から何かをかなで始めているのである。精神のリズムや、心臓の音や、呼吸の息吹きとなって。

それは、僕が生まれるずっと前から、そのように仕組まれ、予定され、プログラムされていたかのように思えてくるのである。それは自分自身の中にあった根源的な衝動や本能、ないし、宿命や使命のようにも思えてくるのである。

あるいは、自分の中で潜在的な可能性のままであり続けたものかも知れない。まるで自分の中で何かが「めざめ」、それに気づかされたときのように。タマゴの中のヒナが仕方なく外の世界へ出て行くように。

まるで、自分が他人のように思えてきて、自分の中にいる別の自分に気づいている。見えてもいる。未知で異質な、それでいてもっとも根源的な自分自身というのを見ている。それに気づき、発見し、そしておどろき、恐れおののき、戸惑い、驚愕し、当惑しているのである。

恐ろしさのあまり気が狂いそうになる。現実の世界に未知へのトビラが開いていて、僕をまねき、そしていざなっているのである。

戻る。            履歴へ


index < 日誌 < aqまやかし< 「恐ろしさ」p4/