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自分の中にあった理由なき正体不明の、得体の知れない恐怖や祈りといったものが、それ自身が、意識されるイメージとカタチを求めているのである。そしてそれが何らかのイメージとなって闇(やみ)の中から見えてくるのである。 自分自身の中にある感覚の感じ方や、生理の作用や、神経の障害や不具合、ノイズの結果として。あるいはその「不具合」そのものが、それ自体で何らかのイメージとして表現されているのである。 そしてそれはまた、自分自身の本能的で根源的な衝動といったものの、現れ出る場面となっているのである。そうやってしか、自分の根源といったものや、理由なき本能的な衝動といったものは、自らを表現し得ないのである。 だからそれは、自分自身の根源的な表明なのである。自分自身の根源的な理由や証明を求めて、自らがさ迷い出てきているのである。 それは自己の内的同一性であり、そしてその自律性の表明なのである。そして、しかしまた、それがどこかで侵害されていて、自分の感覚や、生理作用や、神経の機能といったものが一緒になって、こうした侵害に対して抗議しているのである。そしてそれが、理由なき、正体不明で意味のわからない、なにかの幻(まぼろし)や夢となって現れてきているのである。 |
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