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2、暗示。



願いや憧(あこが)れは、まばゆい光の中の天使として映し出される。
あるいは恐怖であれば、底無しの闇の中の悪霊のシルエットとして浮かび上がってくる。どういうことかと言うと、現実の景色の中の光や闇として見えていたものが、そこからそれを透かして、それが夢や希望、あるいはまた、自分の中にあった何かの恐れといったものを連想させているのである。

「光」は、昼であり、行動でり、精神が開いて顕わな世界である。
「闇」は、夜であり、底なしであり、閉じて引きこもった、沈んだ潜在的な世界である。そうしたことが、天使や悪霊を連想させる下地となっている。これは、人間の生活スタイルや、その生理的・情緒的作用が、それをもたらす原因になっている。

これは偏って誇大化した印象であり、またその象徴でもあり、それを暗示し、示唆し、導いてもいるのである。知らぬ間にそれへと誘われ引き込まれていて、気がつくと、いつの間にかそうした偏見と迷信の虜(とりこ)になっているのである。そうしたことが本人の知らぬ間に無意識の世界で起こっているのである。

もともと自分の中にあった無意識の、理由なき恐れや希望といったものが、真っ暗な闇や、あるいは明るい光の世界として感じられ、そして同時にその中に何かを見たと思えてくるのである。そう感じられるし、そう感じられなければならないし、そしてまた、それが感覚の正常な機能なのである。

感覚の機能は、そうやってしか自分を表現できないのである。それが感覚の機能であり、そしてその機能の仕方そのものなのである。それは自分自身の中にある感覚そのものの現われ出る場面なのである。

戻る。            続く。


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