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2、印象。



カタチが無ければただの気の迷いとして、すぐに忘れられて記憶から失われてゆくのである。何かの「感じ」だけではダメで、それが何らかの「カタチ」として意識されて来なければならないのである。カタチの輪郭と姿(すがた)、あるいは論理のつながりとして連想されてきて、意識の中で映し出されなければならないのである。

自分の中にある未知の得体の知れない衝動は、それ自体が何らかの認識し得る「カタチ」を求めるのであって、また、そうしたカタチを通してのみ、自らを現してくるのである。そうやって自らを表現しようとするのであって、感覚はそれ以外に、おのれ自身の表現の仕方を持たないのである。

言い知れぬ空気の気配とか、幻や、あまりに過大に拡張された印象、思い込みだけの偏見や、妄想、迷いといったものが、それである。言わば、それは感覚の不具合であり、ノイズなのである。

しかしまた、そうしたことが意識も自覚もされないまま、確信や信念となってゆく。自分たちの「信じるもの」となって行くのである。人間関係や社会のキズナとなって行くのである。

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