index < 日誌 < ar象徴< 「錯覚」p2/ |
「青(あお)」は空の色である。そして、まぶしく明るい光と水の優しい白色(しろいろ)に、青色がほんの少し混じったのが「水色」なのである。どこか覚(さ)めていて、それでいてあおぎ見るような春の陽光の「色」である。優しくおだやかな春かすみの世界、再発見と再生・復活の世界なのである。 そして、そうしたことが現実の世界に見えて来るのである。現実というのが、象徴や印象の世界となって自分に迫って来て、追い立て、そして見えて来るのである。 夢や「まぼろし」がそうである。それは視覚が意識から離れて行って、現実から切断された視覚内部の世界で、視覚自身の中だけで何かを見ているのである。 現実の裏付けも、意識の中での理由づけもなく、それらとは切断されたところで、視覚自体が視覚自身の内部で、視覚だけで何かを見ているのである。それは意識の届くことのない、本能や衝動の世界である。 |