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私たちは、そうした自分自身の肉体の記憶と、私たちが生きている自然環境によって支配され、方向づけられ、運命づけられてきたのである。そうならざるを得ず、そうするしかなく、そうしてのみ自己を保存し継続してゆくことが出来たのである。 だからこそ、いまなお、私たち人類という種族が生き残っているのであって、そしてまた、いまも生きて行けるのである。私たちが、いま現実に生きているということ自体が、それを証明しているのである。そしてまた、その範囲の、そうした条件下の、その限りでのみ、それぞれがそれぞれの民族や国家、あるいは個人たり得たのである。 「種」ないし個というのが、自己の内的同一性、言い換えれば、必然性や自律性、あるいは存在理由といったものを、歴史の中で継続して保存し、維持し、伝え、そして生き残り続けることが出来たのである。現在を生きている私たちは、その結果なのである。それは、自己の同一性が、現実に現れ出たカタチなのである。 |
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