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私たち人間は、そうした目に見えない、気づくことも自覚することもほとんどない、そうした意識されざる無意識の感覚の世界を生きている。そしてまた、そうした種々雑多な様々な感覚が錯綜し重複し入り乱れた偶然が、情緒と生理の作用を作り出している。 そうした意味で私たちが生きている現実の何もかもが、あらかじめ設定されていて、プログラムされ、定められ、決められ、方向づけられている。それらは始めから出来上がっていて、その設定されたレールの上を私たちは生きている。そうならざるを得ず、そうするしか無かったように思えてくるのである。 もちろん、それら個別的・具体的・実際的なことは、たしかに偶然の出来事なのであるが、それらを全体として、総体としてみた場合、やはり必然としか言いようのない「バランス」によって成り立っていて、その傾向や目指すところのものは、どうしても特定されてしまうのである。 そのようにしかならない「必然性」みたいなものが作用していて、要するに、環境や条件や前提、さらには当事者自身の「種としての内的同一性」によって、制約され、規制され、方向付けられざるを得ないのである。 |
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