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そしてより本質的には、意識と自然環境からも切り離して考えた場合の、感覚そのもの、感覚器官自体の機能や役割、そしてその作用の仕方や仕組み、様式やリズムについてもそのまま言えることなのである。しかし、さらにまた、それが意識され思考される論理の体系についても、また、そうであると言わざるを得ないのである。 まさしく、こうしたことが私たちを根源的なところから支配し、規制し方向づけている本能や衝動の正体であると思えてくるのである。なぜなら、それこそが私たち自身であると言えるからである。 そうやって自らを表現し、自覚し、現してくる。あるいは、そうしてしか自らを表現し得ず、それだけが自分のすべてであり、そしてまた、それこそが真実の、ありのままの本当の自分のすがたなのである。自己の同一性であり、自己の全体性であり一体性なのである。自分が自分であることの必然性なのである。 |
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