index< 日誌< ar象徴< 「不可解な記憶」p7/ |
最も原始的な本能や衝動といったものは、コトバ(言葉)になる前の、コトバ以前の、コトバでは表現出来ないものなのであって、そうやって、自らを映し出す以外に表現のしようがないのである。 つまり、なにかの出来事の記憶が、そこから離れて、忘れられたカケラや痕跡となって、そしてそれ自体が何かを暗示する印象や象徴として現れて来て、映し出され、浮かび上がって来て、そしてそれが何らかの予感や行動へと導いて行くのである。夢や幻覚の世界がそうである。 感覚の感じ方や直感といったものが、自分が生きている現実世界から切り離されて、それとは別の、何の関係も、脈絡も、前後のつながりも関係もない、つまり、現実から切り離された直感それ自体として、心の中に映し出されてくる。 意識から分離した、感覚の感覚に対する、感覚自身の感覚として感じられてくる。 これが夢の世界であり、幻覚や「まぼろし」、あるいは同じことだが、神経の働きや生理作用の不具合、ノイズとして、混乱し錯綜した支離滅裂なイメージとなって現れてくる。つまり、衝動だけが、その原因や前後の関係を全く無視して踊り出て来るのである。 |
index < 日誌 < ar象徴< 「不可解な記憶」p7/