index< 日誌< ar象徴< 「不可解な記憶」p7/ |
そうだ。確かにそれは僕の妄想と「まぼろし」の世界なのである。そして僕は、目を開いたまま夢の世界をさ迷っているのである。しかしまた、この夢の世界こそが、ぼくにとって見れば唯一の真実の世界だったのである。目に見える現実の世界を透過して、そこから見えてくる僕自身の本当のすがただったのである。 現実の何もかもが作り物のウソの世界のように思えてくるのである。ヤラセとコピーだけの、中身がカラッポの白々しいイミテーションの世界のように思えてくるのである。見える現実世界の、姿やカタチの意味や理由といったものが、まったく見当たらず、どこかへ消えてしまっているのである。 そうである以上、その意味は自分で見つけなければならず、だとすれば、それは自分の中にしかないのである。それが現実にない以上、それは現実から切断された自分自身の精神の中で見つけるしかないのである。 それは、自己の精神の根源にある必然性なのであって、そして、それが何らかのイメージとして心の中で映しだされたのが、夢と妄想の世界だったのである。それは暗示と予言、そして果てしなき迷信(または信仰)の世界なのであって、だから、これが妄想なのである。 私たちが生きている現実とは、それ自体が何らかの暗示であり、示唆であり、祈りや願いでもあり、そして、そこから導き出されて来る印象と象徴の世界なのである。そしてこのような信仰、言い換えると、何かしらの「信じるもの」が無ければ、人間社会も文明も成り立たないのである。 |
index < 日誌 < ar象徴< 「不可解な記憶」p7/