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感覚は、そうやってしか自らの存在を表現し得ないのである。感覚は、そうやって自らの機能と、その存在の必然性を示しているのである。そうやって、現実の世界へと自らを現してくるのである。そして、それが感覚の存在理由であり意味なのである。 つまり私たちは、現実に生きているこの世界の中から、そうした目に見える現実が象徴するところの意味や理由といったものを探りあて、見つけ、理解し、意識しなければならない、ということなのである。 それはちょうど、私たちが生きている日常の生活の反対側にあるものである。非常識、非日常、非現実、未知、異質、正体不明、得体の知れないもの、別の世界、不思議で不可解な世界といったものである。 そうである以上、それがいまだ何たるかを知ることが出来ないものである以上、、また、知らないものであるにもかかわらず、それが現実に強く感じられるものである以上、それを何らかのカタチとして表現しなければならないのである。いまだ言葉にもならず、カタチにもなっていないにもかかわらずである。 だからそれは、とりとめのない夢や、それが何かと言い表わしようのないイメージとして映し出されてくるのである。そうやって現れて来る以外にないのである。 |
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