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だからやはり、いくら目に見えるカタチが違うといっても、同じものと言わざるを得ないのである。形式的に違って見えても、その変化のパターンという考え方からすると、同じものと思えてくるのである。あるいは、そう言わざるを得ないのである。 まるで異質な、まったく別のもののように見えるものが、何らかの内的な同一の必然性に基づく同じ変化の結果として見えてくるのである。始めにあったものとの同一性・一体性が本質として認められるのである。 だからそれらは、たとえ形式が違っていても歴史的に空間的にも、そしてまたカタチの上でも、同じものであるとしか言いようがないのである。 それらは、同じところから生まれ出て来ていて、同じ原理で変化をし続けているのである。そしてこの原理こそが自己と他者を区別している示標なのであって、自己の同一性の本体なのである。自己の内的な必然性や自律した理由となっている実体なのである。 |
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