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私たちにとっての現実とは、それが印象する象徴の世界であって、そして、それが現実の意味なのであって、そうしたことが人間に感じられるというのは、現実というのが人間にとって記号化された世界だからである。 現実というのは、人間の感覚にとって感じられるものだけが現実なのであって、そのためには、現実というのが人間の感覚器官に感じられものとして変換されなければならず、それが「記号」なのである。 何かが「感じられる」とか、見える、聞こえる、触れているなどというのは、人間の意識の世界であるが、しかし、感じられるとか見えるためには、それ以前に感覚器官がそれを捕らえていなければならず、感覚器官が捕らえることが出来るように記号(または信号)化されていなければならないのである。 それは意識以前の物理的・技術的な問題なのである。例えば、光は視覚として、熱は触覚として、音は聴覚として記号化され、変換された後、「感じられる」のである。それは信号化された記号の世界なのである。 そして同時に、それぞれの感覚器官の、それぞれの記号のバラバラな偶然の羅列は、全体としての身体の中で、それぞれに特有なパターンとリズムを生み出してゆく。そうしたことが意識や観念の世界に反射して、あるいは響き反応し合い、同調して、映し出されてくるのである。これが、現実とは区別される自分自身の、意識の世界なのである。 |
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