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2、記号。



それは感覚というのが、人間にとって意識され自覚される瞬間なのである。自分と外の世界が区別されて、それが何かの記号や信号として伝わって来て、感じられてくる。そしてその感じ方の形式、カタチとリズムが、外の景色をして色やカタチの模様として見せているのである。色やカタチは感じ方の形式なのであって、そうやって人間は意識の中で外の世界を映し出しているのである。

しかし、この信号化された感覚自体が、それだけですでに抽象化されているのである。そしてこの抽象化された記号のパターンを、私たちは何かしらの「象徴」と感じているのではないだろうか。

自分の中で、外の世界というのが現実から切り離された、現実とは別の、何かの印象の記号として表現され映し出されている。一つは感覚器官の生理と電気信号の記号として。もう一つは、意識の中で抽象化された象徴の記号として。これが人間にとっての「見えているもの」の意味なのであって、このようにして、見えている外の現実そのものもまた、そもそも記号でしかないのである。

戻る。            続く。


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