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7、記憶。



それは何かの暗示でであり、示唆であり、予感でもあり、そしてまた、何かへと導く象徴や合図のようにも思えてくるのである。

あるいはまた、現実の出来事や、そのすがたや景色の中に祖先が記憶して来た、現実の「意味」といったものを見ているのである。そうした祖先の記憶といったものが、現在を生きる私たちの記憶の中でよみがえって来ているのである。

そしてまた、そうやって私たちの祖先は、自分たちが生きて来た自らの記憶を、私たちに伝えているのである。そして、それが「種」としての私たちの記憶であり、本能であり、衝動なのである。

また、それが私たちの感覚器官そのものが持つ機能や役割、その構造や仕組みから導かれる指向性なのである。それが求め目指すところの傾向なのである。

私たちの祖先は、そうやってのみ、種として生き延びて来られたのであり、そして現在も生きているのであり、そしてまた、そうやって生きて行くしかないように出来ているのである。というのは、私たち自身の仕組みや身体の構造そのものがそうなのである。つまり、この範囲の中で最適化され特殊化されていて、そして規制され、方向づけられているのである。

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