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16、信仰。



私たちが生きている現実世界の、見えるものの色やカタチといったものは、それは私たちが無意識の内に記憶する象徴の世界なのであって、それが私たちを支配しているのであって、そしてまた、それこそが何よりも大事なことなのであって、このような意識されざる印象と象徴の世界こそが、私たちが生きている現実の「意味」といったものなのである。それは種としての祖先の記憶なのである。自分自身の内的同一性なのである。自分で自分自身を見つめているのである。

現実は、それ自体としては何の意味もないのであるが、しかし、それでも現実が何か意味があるものとして見えているのは、それが自分にとって何かを印象する象徴の世界だからであって、また、それが印象する象徴とイメージの世界を私たちが生きているからなのである。これがまた、私たちを人間たらしめている現実の世界なのである。

私たちが生きている現実の世界というのは、それは自分の現実であるとともに、そうしたこと自体がすでに、それ以前のところで、種ないし祖先から与えられ、用意され、仕組まれ、設定された世界なのである。

そしてまた、そうした舞台の上でのみ私たちは人間たり得るし、人間的な感覚や生理、そして情緒、そしてまた、人間的な社会がシステムとして成り立ち得るのである。それは私たちの根源なのであって、自分自身の内的同一性であり、存在の必然性なのである。心の拠り所であり、そしてまた、自分たちが信じるものの世界なのである。

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