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15、潜在。



例えば、赤色の激しく迫るような、感情的で行動的な印象がそうである。そして白色の、だれに対しても明るく照らし出し、等しく映し出す、そうした印象の世界がそうである。赤白それぞれが対照的でありながらも、それでもってすべてを表現しているのである。このような感じ方といったものは人為的でも意図的でもなくて、人間がもともと本来から持っている感じ方の世界なのである。

そうしたことが何かをうながし象徴する記号となってスイッチされ、よみがえり、目覚めてきて、映し出されるのである。まるで、感覚の不具合やノイズの混乱した偶然の出来事のように。まるで、夜の瞬間的なイナズマが、何かのイメージのように見えて、踊り出てくるように。

こうしたことは、やはり、自分の預かり知らないことなのであって、自分の中にあるにもかかわらず、自分ではどうにもならないものなのである。無意識の世界で自分を支配している、何か自分以外の絶対的な強制力なのである。つまり、ひとことで言って、自分の中で隠れ住んでいる、潜在的な「種の記憶」としか言いようのないものなのである。

このような種の記憶が無意識の世界を支配していて、現実を生きている私たちの感覚が受ける印象や、また、そこから導き出される象徴の世界を、気づかないまま、知られもせず、意識もされずに、私たちを支配し規制し続けているのである。

戻る。            続く。


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