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14、無意識。



それは、無意識の本能的・衝動的な象徴と、半分意識的な人為的・意図的象徴に分類できる。

たとえば、日本の国旗「日の丸」を例にとれば、この旗の下で私たちは生きて来たのであり、文化と歴史をカタチ作ってきたのである。だから、この日の丸をもって私たち日本の象徴として感じられてくるのである。それは文化と歴史という現実の出来事の記憶から思い出されてくるもので、それが象徴という無意識の記憶の下地になっているのである。

しかしまた、この象徴自体もよく考えて見ると、赤と白という「色」自体がもともと何かそうした「何か」を象徴するものをもっているのである。感覚的にも、情緒的にもそうなのである。だからこそ、この赤と白が旗の「色」に選ばれたのである。

この赤と白という色自体がもともと持っていた、そしてそれが持つ象徴の世界といったものが、人間の意図や目的とは係わりのない、人間の感覚そのものが持つ本能的で衝動的な無意識の世界を示しているのである。現実の出来事から切り離されたところにある象徴の世界なのである。意識が届くことのない感覚だけが知る無意識の世界なのである。 

戻る。            続く。


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