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自己の精神といったものが、現実を生きる自分と、そしてそうした自分を意識する自分とに分裂している。しかし、この自分を意識する自分とはいったい誰のことなのだろうか? それは、神または悪霊、あるいはまた同じことであるが、呪いや祟り、または精霊といった、「アニミズム」のことなのであって、これが現実を生きる自分を意識し、それを支配し、方向づけているのである。あるいは、それへと指向してゆくのである。 しかしまた、この「内的指向性」とは何か? それは自分自身の原理であり、必然性なのである。それは、自分自身の文化や歴史に根ざしたものであるとともに、それ以前の「種」や自然環境、そしてまた、自分自身の肉体の構造や仕組みから来ているのである。そうした現実の条件から形成されて来たものなのである。 あるいは、生態系全体のバランスからそうなったものとも言える。そうならざるを得なかったものなのである。そして、そうしてのみ、種が保存されてきたのであり、そしてまた、現在もそれが種として生き残っているのである。 それが種として現在も生き残っているという事実が、そうした種の内的必然性や原理といったものを示しているのである。そしてそれが種としての生存の可能性と条件なのであり、そしてまた、その方向性なのである。 |
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