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自分のなかに固有の自律性があって、それによって自立し、自発的に自らの意志で他人と協力して生きているのである。またそうしてのみ、真の協力関係が成り立ち得るのである。これが自分が生きているという意味なのである。 そしてそうしたことは、やはりケジメが必要なのであって、自分と他人との間にはどうしても境界と区別がなければならず、それがまさしくプライバシーであり、人格なのである。そうやって、お互いが自立した存在として真に交流し合えるのである。 お互いが尊重し合い、認め合う、本当の意味で協力し合える関係となるのである。共同体と社会といったものが個の犠牲の上にではなく、個の創造と自律に基づいた真の意味での共同体になり得るのである。 |
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