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1、交流。


主観は客観にならなければならない。同じことであるが、個人は、社会の中の個人とならなければならない。そうなって始めて他人との間、あるいは人間同士が意思を共有し、また、交流し合うということが出来るようになる。

そのためには、主観に含まれる個別的で具体的なもの、つまり、自分の個人的な都合といったものが捨てられなければならない。そうやって、交流し合う人間同士のあいだで、共通のものだけが残っていって、一般化・抽象化され共有されてゆく。これが客観である。

客観とは、主観が集まって平均化され、個別・具体的なものが捨てられて、共通の部分だけが残ったもの、あるいはそれが抽象化され一般化したものである。だから客観たりうるためには、自分を外から見れなければならない。まるで、自分を他人のように。

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