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つまり、自分の精神といったものが分裂していなければならない。現実を生きる自分と、そしてそうした自分を意識する自己意識とに、自分の精神が分裂していなければならないのである。こうしたことが自分で自分を意識する前提になっている。 法律を作成する能力がそうであり、歴史を記述する能力がまたそうである。法律は、自分たちの主観から離れて、それを第三者から見たものであり、歴史は自分たちというのが現在と過去の自分に分裂している。自分で自分を他人のように見ているのである。そうして自分というのを客観的に見ている。自分を客観的に見ることが出来る、ということなのである。 そうやって始めて歴史も法律も記述してゆくことが出来るのである。自分以外の無関係な第三者に対しても、それが理解もできるし知ることが出来る、そうした客観的な物語、または、考えとして通用し得るし、交流し合うことが出来るようになるのである。 |
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