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印象というのは、自分がいままで見て来たものの中から、それに基づいて、いまある目の前の出来事や見えるものを判断している。識別し区別して、そして、それが何であるかを直感的に判断している。 自分が知っていること、経験していることを基準に、それに基づいて、いまある目の前の現実を理解しているし、また、知ろうともするのである。それ以外に知りようが無いのである。 もちろん、その時点で知りうる範囲内で。だからまた、何もかもよく知っている出来事に関しては印象などないのである。それでも印象に残るというのは、このよく知っている出来事のなかに、それとは別の、何か違った変わったものを見つけたときである。これが印象というものではないだろうか。 そして、このような印象といったものが無限に繰り返されて、積み重ねられていって、いつしかそれだけで集まって、自分たちとそうでないものとを区別しだして、そしてそれが本来持っていた出来事の記憶といったものが失われて行く。 印象が、印象それ自体として現実から分離独立して、一つの抽象的な世界を作り出して行く。そして、そうしたことが「象徴」という世界ではないだろうか。 |
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