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しかし実際に、現実に何もないところから、なにか誰かの強烈な意志のようなものが感じられてきて、それが、目に見える現実のすべてを、意のままに動かしているように思えてくるのである。やはり「神経障害」なのだろうか。そうではない。 現実のすべてが、自分とは誰か別の意志によって動いていると思えてくるのは、当然なのである。僕たちは、そうした世界を生きている。これが現実というものなのである。 現実にあるものが見えるものというのは、自分の目で見ているのである。そしてこの目というのは、祖先から与えられたものであり、その意味では自分のものとは言えないのである。 自分たちの祖先の何万何億年という太古から生成され形つくられて来た、祖先のものなのである。だから、それに支配され制約されていて当然なのである。そのようにしか見えないように出来ている、ということなのである。だからまた、このような自分の肉体の制限を超えたところからは、何も見えて来ないのである。見えてこないはずなのである。 しかし、実際には見えてきている。自分自身が本来持っていない、見えないはずのものが「見えている」。不具合や障害、ノイズや、それに幻覚や勘違いなどとして、「見えている」。いやが上にも、見せつけられている。それに気づかなければならないし、気づいてもいるし、また、見えなければならないのである。 |
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