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「見い出される」とは、このことなのである。もともと何もないところから何かを見い出すことなど出来ないのである。もともと自分のなかにあった何かだからこそ、「見い出す」ことができたのである。発掘し、発見することが出来たのである。そして自分自身を再発見できたのである。 しかしなぜ、いままでそれに気づかなかったのだろうか? それは、そうした「見い出された」ものが、かつて自分のなかに有ったものであるにもかかわらず、どこかで捨てて来たものだからである。失われたものだからである。 それは、カタチにならない、おぼろげで漠然としたものでしか思い出せないのである。それはむしろ、未知であり、異質であり、非日常・非常識であり、非現実の世界なのである。しかしまた、だからこそ、それが見い出されたのである。見い出し得るのである。 なかば自分で自分を見ている。自分を見い出している。他人から与えられ、定められ、引き継がれたものではなく、自分で発掘し発見したものとして自分を見ている。だからこそ「見い出し」得たのである。自分で自分を発見しているのである。 そしてそれは、未知で非現実の、何か言い知れぬ直感と衝動の世界にしかないものなのである。 |
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