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異質で多様であること。そしてその根源もまた、多元的であるということ。そこからまた、自己の精神の現れ方も違ってくる。その表現方法や、表現されるキッカケや動機といったものも違ってくる。 たとえば、それを歴史において見るならば、 侵略や勃興・没落などの出来事の連なり、そうした同じことの繰り返しとして現れる場合(中国)。あるいは物的生産力の増加とその邁進として現れる場合(古代の地中海)。そしてそれが、生産力としてではなく、生産の質的・情緒的洗練として現れる場合(東アジア)。理性の発達と精神の内的な無限の追求として現れる場合(近代の中部ヨーロッパ)、等々。 あるいはまた、絵画に長じた民族、哲学に秀でた民族、芸能や直感に優れた民族などなど、そうした、特殊化し個性化したバラバラなカタチで現れてくる。 |
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