index< 日誌 < y肉体 < 18-336「肉体のタマシイ」p13- |
当然である。現実は、もともと自分とは別の世界なのであって、バラバラでとらえどころのない、どこまで行っても未知の世界なのである。そして、それを人間の都合に合わせて理解しようとするのである。もともとバラバラで多元的なものを、何らかの秩序を持った合理的なものとして捉えようとするのである。 なぜなら、そうすることが、現実というのが人間にとって役に立つものとして利用しやすくなるからである。そうして規則や秩序が定められ、また、それが当然のことのように思われてきて、そして、そうすることが人間にとっての利益になっているのである。 しかしまた、このような意識や理解も、現れては消えてゆく一つの歴史的な「考え方」に過ぎないのであって、そうである限り、いずれ消えてゆく運命にあるのであって、また、その時点で新たな「考え方」や、それまでとは異質な規則や秩序、関連性が求められてくるのである。 ここなのである。これが先ほど述べた、現実というのがバラバラで理解し尽くすことが出来ない、という意味なのである。しかしまた、だからこそ無限なのであって、それが変化し得るのであって、時と場所を越えて普遍的なものとして感じられてもくるのである。またそれは、人間が世代を越えて生きて行く上で、どうしても必要なことなのである。 |
index < 日誌 < y肉体 < 18-336「肉体のタマシイ」p13-