index< 日誌 < z自意識 <  18-337「障害」p6- 


 
2、存在。


しかし、これを外(そと)から客観的に見ると、それは確かに、自由とか正義とか、能動的で主体的な人間の自発的な本性に根ざしている、というように見えるかも知れないが、現実を生きている本人には、そんなことは関係がないのである。

ただ、そうするしかないから、そうしているだけなのである。それ以外のことが出来ずにいる、出来ないような条件の下で生きている、ということなのである。

だから、だれもそれを意識することもないし、意識する必要も、意識出来るような世界でもないのである。また、それを意識してはならない世界なのである。それを意識するということは、自分で自分の存在に疑いを抱くことになるからである。

また、そうした無意味な、どうにもならないことを意識してはならないし、意識する人間もないのである。人間は、あらかじめ制限され定められた条件の下で生きているのであって、それ以外のことは何も成し得ず、また、何もしてはならないのである。それは、自分の存在を破壊することになるからである。

すなわち、そうしたことが条件になっていて、それ以外のことは何も成し得ないし、また、あらかじめそれ以外のことは、何も出来ないように条件付けられていて、そのように事前に設定されている、ということなのである。これが人間の存在の仕方なのである。現実、あるいは時代というものなのである。

戻る。                         続く。


index < 日誌   z自意識 <  18-337「障害」p6-