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人間は、そうした自分の主観の世界を見ていると同時に、こうした自分自身の主観の世界を生きている。そしてそれはまた、人間が生きて活動している、自分の肉体のすべての感覚器官についてもそのまま同じことが言えるのである。 つまりそうした意味で人間は内面的で、外の世界というのを自分にとって都合の良い無意識の世界の中で見ているのである。 だからまた、外の世界がすべてぼやけて見えて何もかも焦点が合わなくなったとき、外の現実を見ているという感じがなくなって、なにやら自分の内面世界を見ている思いがしてくる。 外の世界と、自分の内面との境界がなくなって、ぼやけた曖昧(あいまい)さのなかで、それらすべてが区別の出来ない同じもののように思えてくる。 内面と外面の区別がなくなって、それらが、互いに自由に出入りして、行ったり来たり、入り乱れて混じり合っていって、終いにケジメが無くなって区別できなくなる。外面でも内面でもなくなって自分自身を喪失してゆく。自分でも気づかないまま、見失い忘れられ捨てられてゆく。自分が誰なのかわからなくなる。 |
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